和水町観光案内史跡巡り

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 (例1:建物名)熊本城 (例2:住所)和水町瀬川3613-1

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国指定史跡【江田船山古墳】えたふなやまこふん

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(前方後円墳・墳長62m・5世紀後半)
国指定史跡江田船山古墳から出土した92件は、一括「国宝」として東京国立博物館に保管展示されています。金銅製冠・沓(くつ)・金製耳飾り・轡(くつわ)・大刀・剣など、おびただしい副葬品の中にあって一本の大刀の峯に銀で象嵌された75文字の文章は、日本の古代史をひもとくうえで大変貴重なものです。

国指定史跡【塚坊主古墳】つかぼうずこふん

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(前方後円墳・墳長43.5m・6世紀初頭・装飾古墳)
古墳の主体部は石室構造で、内部の石屋形の内壁に赤色と白色で三角連続の文様が描かれています。菊池川流域の装飾古墳の源流を知るうえで貴重なものです。また、四獣鏡・大刀・馬具などが出土しています。

国指定史跡【虚空蔵塚古墳】こくんぞうづかこふん

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(前方後円墳・墳長52m・6世紀初頭)
古墳主体部は未調査ですが、周溝からは円筒埴輪や人物埴輪が出土しています。整備前は墳頂に虚空蔵菩薩がまつられていたことから、この名があります。

松本清張が訪れた【トンカラリン】邪馬台国の卑弥呼の鬼道説

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江田船山古墳から続く台地東側斜面に構築されたトンネル遺構です。全長445.1mにわたって暗渠や地隙(地割れ)などで構成されていますが、いつ誰が、何のために造られたのかは未だに謎のままです。見学をするには、這うとこもあるので動きやすくて汚れてもよい服装と軍手、懐中電灯、膝当て、雨の後は長靴があればベストです。

秀吉の「刀狩り令」発症地【田中城跡】たなかじょうあと

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田中城は、肥後国衆のひとりである和仁氏の居城です。天正十五年(1587)に勃発した「肥後の国衆一揆」では、和仁氏や辺春氏などが立て篭もる最終拠点となりました。その際、豊臣秀吉軍が作成した「辺春・和仁仕寄仁取図」は日本最古の陣取図として知られています。陣取図には、城を取り巻く木柵や物見櫓、小早川氏・立花氏・鍋島氏などの陣地が描かれています。

国指定史跡【豊前街道腹切坂】ぶぜんかいどうはらきりざか

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永ノ原台地から寺ノ本に下る急坂は「腹切坂」と呼ばれ、参勤交代で使用されていた豊前街道の中でも屈指の難所であったことが知られています。平成17年3月に国指定史跡として指定を受けました。

霊験あらたか八つの神様【目の神様】岩本宮

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戦国時代、肥前の龍造寺軍勢が神尾城(城主:大津山家陵)を攻めた時、一人の手負いの武士が、この岩壁の中腹の藤かずらにひっかかり宙吊りになっていたのを小次郎丸の村人達が見つけ下ろしてやったものの、敵の侍と知り怖さのあまり、鋤・鍬等で打ち殺してしまったという。その武将は岩本と名のったという。村人達は、敵将とはいえ惨殺したことを後悔して、この地に手厚く葬り、いつの頃からか小さなお堂が建てられ、それを岩本神社と称し、通称『岩本さん』と呼ぶようになった。それ以来村人達は、無病息災・家内安泰の祈願所としてたてまつり、又特に目の病に霊験あらたかな神様として祀るようになったと言われている。

霊験あらたか八つの神様【イボの神様】自然石

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ここに鎮座している巨石を総称して、地元では『いぼ石さん』と呼んでいる。この石は、いぼ取りに効能がある神様として、昔から参詣する人が多く、いぼで悩んでおられる方々の祈願所として祀られている。願たての祈りは、自分の年齢の数だけ煎った大豆を献上し、石の上に患部をすりつける習わしがあり、御願成就の際は、必ずお礼参りをすることになっている。

霊験あらたか八つの神様【胃の神様】石祠

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昔は、正月や例祭日には、近所はもちろん遠方からも大勢の参拝者があったと言われている。地元では昔から『胃病に御利益がある神さま』との言い伝えがあり、胃痛の治療祈願の折には、どじょうを参道途中の池に入れてお供えする習わしがあったという。昔から、胃弱の人が、お参りを続けると不思議にも元気を取り戻すという霊験あらたかな神様の一つである。

霊験あらたか八つの神様【性・腰の神様】七郎神(塩井谷神社)

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正治2年(西暦1200年)12月4日、坂梨家の祖である坂梨弥五郎は、土地鎮護と農耕開拓の守護神として、肥後一の宮阿蘇神社本宮より、御分霊を戴き、この吉地村に下り、山森阿蘇神社を創健したと言われている。その時、供養者の一人として同行してきた坂梨七郎右衛門は、この塩井谷に住居を構え、農耕技術の普及に貢献したと伝えられている。村人たちは、七郎右衛門の地域では、毎年農作物の豊作を祈願し、種の繁殖・増強とともに、生むは産むに通じ、子孫繁栄・安産・夫婦和合の神様として、陰茎弱き人、子宝に恵まれない人、縁遠き男女、夜尿症、足腰の病等諸病に悩む人々それぞれに霊験を受けて歓喜している事実がある。信仰・祈願する人は、作りものの男根を奉納する習わしがあり、御願成就のあかつきには、男は白色、女は赤色の布に住所・氏名・年齢を書いてお礼参りをする風習がある。

霊験あらたか八つの神様【歯の神様】墓石(板碑)

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歯の形に良く似た墓石(板碑)は、鎌倉時代から室町時代にかけて造立されたのではないかと推測される。その両脇には宝筐印塔と五輪塔の存在がそれを示しているが、定かではない。いずれも、先亡者の供養や墓石として作られてものと思われるが、地元では昔から歯の神様として信仰してきた。歯がうずく時には、白砂又は米をお供えして参拝する習わしがあり、不思議なことに歯の痛みも鎮めてくれるという日本でも珍しい神様である。

霊験あらたか八つの神様【命の神様】七郎神(塩井谷神社)

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御神体は石である。昔から『命助けの神様』と言われ、生死にかかわる病気の時、一生に一度だけ平癒を願えば、必ず叶えられると言われている。地元では『坂梨弥五郎が山森阿蘇神社を勧請した折に建立されたのではないか』と言われている。八つの神様の中でも命に関わる神様として異色の存在である。

霊験あらたか八つの神様【耳の神様】墓石(柳川由布大炊助の墓)

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天正15年(西暦1587年)12月、佐々成政の要請を受け、和仁一族の田中城攻めに参戦した大炊助は、豊後由布氏の一族で、筑後柳川城主・花立宗茂の家人であった。騎馬大将として先頭に立ち、大手門より攻めいく中で、家来から『あぶのうござる!お下がり下されー』と強く注意されるも、もともと耳の不自由な大炊助には届かず、城中から放たれた矢に胸を射抜かれ討ち死にしたという。しれを伝え聞いた村人達は、大炊助を丁重に葬り代々供養をし続けてきたことが、語り継がれている。墓前には、火吹き竹が供えらえれ『耳の神様』として祀られている。

霊験あらたか八つの神様【手足の神様】石祠(立山の足手荒神)

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立山の手足荒神は、その昔六嘉(現在の上益城郡嘉島町)の手足荒神を分霊して当地に祭祀したと言われており、現在も当時のままの状態で安置されている。足手荒神前の小さな池には以前は白い水がこんこんと湧き出ていたそうであるが、水量は減ったものの今も白い水が同様に湧き出ている。しれを伝える伝承話に『竜神がくれた乳の水』として、今も語り継がれている。足手荒神さんと白い水は、昔から深いかかわりがり、霊験あらたかな祈願所として、静かなブームを呼んでいる。
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